経歴・資格
- 柔道整復師
- VCA認定 心理サポーター
- ストレッチポール ベーシックインストラクター
- コアキッズ体操普及員
ごあいさつ
江口 彰浩、誕生!
1981年6月。春日井市で待望の長男として、私は誕生しました。
共働きの両親、3つ上の姉と共にたっぷりの愛情の中でスクスク成長しました。
頑固で真面目な仕事人間の父からは、コツコツと努力する姿と人を大切にすることを、家族の事を一番に考えている母からは、優しい笑顔と明るさを、弟思いの姉からは、命の大切さを、それぞれ教えてもらいました。
恥ずかしくて面と向かって言った事はないが、最高の家族だと思う。今までの色々な出会いにも本当に恵まれてきたと思う。本当に運だけで生きてきました。
「それは、ひとえに両親、姉のおかげです」
これらの事を胸に刻み、これまでの人生を、そしてこれからの人生を歩み続ける
――笑顔で――。
柔整学校へ
勉強は面白かった。何もかもが面白かった。
ここでは新鮮な驚きの連続で、これは自分にとって「運命」だったんだな、と思った。
同じ志を持った友人たちとの出会いもあった。
忙しかったけど、毎日が充実していた。
一度、社会人を経て、知識ゼロからのスタートだっただけに、勉強の面白さの反面、思うように頭に入らなかったり、身体が動かなかったり、そんな自分自身と真っ向から向き合い、葛藤を続ける毎日だった。
ただ、やはり机の上で勉強するのと、実際施術を行うのとでは“感覚”が違う。
「そうだ、修行をしよう」
恩師との出会い
専門学校に通う傍ら、実際に接骨院で働きたいと考えた。何件か当たった中で「ここだ!」と思ったところは、奇しくも自宅から一番近い接骨院。春日井市高蔵寺の井上接骨院でした。「働かせほしい」と電話した時、院長先生が言った一言が決め手になりました。「お金が欲しいだけならうちでは無理だよ、技術を学びたいならいいよ」この言葉に身体がじーんと熱くなりました。
もちろん、早速修行させて頂きたいと申し込む。
その接骨院には患者さんの笑顔・笑顔・笑顔! ――なぜだろう、ウキウキしてきた!
今まで、勉強する中で自分がぶち当たる壁を越えることに必死であったが、その努力がたどり着く結果に、この人々の笑顔があるんだなと初めて実感できた気がした。
なんて素晴らしい仕事なんだろう。この笑顔の一員に入りたい……そう思った
笑顔のウラに……
どんなに忙しくても優しく笑顔で一人一人対応する院長先生と兄弟子。最初は難しい顔や辛そうな顔をした患者さんも、いつの間にか緊張を解き笑顔で話している。まるで魔法を見ているみたい。
兄弟子の教えは師匠のマネをしなさい。不器用な私にはすごく大変でしたが、兄弟子が毎日毎日気付いた事をメモ書きしノートにまとめなさいと。
このノートは学校では習えない包帯の巻き方やテーピングの巻き方、しゃべり方まで多くのことが書き込まれていきました。
ある時、兄弟子に
「お前はどこを見て仕事をしているんだ」
普段の先生からは想像もつかない程、険しい顔をしている。「何かしたかな……」思い当たる事が多すぎて即答出来ない。
「お前が見なければならないのは誰だ!? 一人一人の患者さん、その患者さんが抱えている悩み、その患者さんを心配する家族……よそ見をしている暇はないぞ!」「消極的な姿勢で仕事をするな」
静かな声だったが、身に堪えた。目の前の、しかも大切な事を見失っていた。何が大切なのか――先輩は忙しい中、こんな自分の事もきちんと見てくれていた……。グウの音も出なかった。情けない。
私は決心する! 院長先生や兄弟子達に居て良かったと思われる治療家になろうーと俄然燃えた!
それから明確な目標に向かって、東京の勉強会・兄弟子も参加している勉強会にも参加するようになった。
頭がパンクしそうだったが、この日々も本当に充実していた。今の施術スタイルに至る影響を数多く受けたのも、この頃だ。
おかげで、だんだん視野も広まり、私のフアンという患者さんも多く来てくれるようになった。
沢山いた兄弟子達は順々に独立開業し、私が井上接骨院の最後の弟子となった。
そして、ついに……
いざ開業!
「一人でも多くの人を笑顔に」そうモットーを掲げ、2013年5月
いざ開業!!
誰も知り合いもいない東浦町に夫婦で来て、不安や希望に満ち溢れて生活をスタートしました。
また周囲の接骨院との比較に葛藤を繰り返していたが、徐々に少しずつ患者さんが来てくれるようになって行った。
……でも、その矢先――
ある思い
私の姉は2013年12月に他界しました。脳腫瘍と診断され12年闘病していました。
私は姉から多くの愛情や物を受け取っていましたが、姉の病気に対して何もしてあげられませんでした。悔しさと情けない感情でいっぱいになりました。
しかし姉の病気を通して、「自分の手の届く人を一人でも多く心から笑顔にしたい・笑顔が見たい」という開業当初の思いを更に強くしたのでした。
たかだか10分のマッサージで改善されないとはわかっているのに施術。しかもまた明日も診せてください。良くなった人には、また悪くなったら・痛くなったら来てください。
こんな治療って自分が患者さんに対して本当にしたいことなのか?
痛みが改善されたらバイバイではなく、その患者さんがずっと痛みなく生活できるように細く長く関わっていきたい。
趣味や仕事、新たなチャレンジする気持ちなど、その患者さんの次のステップを導き出し寄り添っていきたい。
患者さん、一人一人と向き合い、それぞれの道に光を照らしてあげたい。
未来へ
開業1年後、娘が産まれました。この子に恥じない仕事・尊敬される仕事をしたい、子供にとっていい環境を作りたいと思うようになりました。
その思いは我が子だけに向けられたことではありません。
すべての子どもが
また、子育てに家事に頑張っている妻を見ていて、本当に毎日ハードで自分自身を酷使しているなぁと感じています。ですので子ども達の親の身体や心も楽にしてあげたいと。
身体が楽だと、楽しく過ごせる、そうして生まれた心の余裕があると、
会話が増えるなど、そのことが子供たちに大きく影響を与えるので、未来を担う子供たちを伸び伸び成長させる環境つくりに大きく関わっていきたい。
最後に
私の治療ですべての痛みや症状が改善するとは言いません。実際手術で良くなる人もいれば、薬で良くなる人も沢山います。
そんななかでも私が治療を行う理由は、
それでも治らず困っている人がいるからです。
健康って買えないものだし、変える気がないと今の現状から変わらないよね。
だからちょっとだけ電話する勇気と治療の時間をください。
私はこの治療で治るって信じてるから。貴方も可能性を信じてみてほしい。
そしたらきっと楽しい生活がまってるはずだから。
なんともならなかったって言うんじゃなくて「なんとかなるかも」って思える治療であなたをお待ちしています。